私はおばあちゃんっ子でした。
小学校に入学する時に、祖母の家の近くに引っ越しました。
それからは、学校から帰ってくると祖母の家に行き、裁縫を教えてもらったり、祖母手作りのおやつを食べたりしていました。
中学、高校と進学するとだんだん祖母の家に行く回数は減りましたが、時々
「お茶飲みに来ないかい?」
と祖母からのお誘いがあり、ほいほいお邪魔していました。
短大に進学し家を離れても、変わらず長期の休みには必ず祖母の家に顔を出していました。
私が仕事につき何年かした時、突然祖父が亡くなりました。
ショックでした。
…どうしてもっとおじいちゃんとも話をしておかなかったんだろう。
…どうしてもっと逢いにいかなかったんだんだろう。
後悔ばかりでした。
胸にポッカリ穴が空いて、ひゅう~ひゅう~冷たい風が通り抜けていくようでした。
そして大好きな祖母がいなくなる日を想像すると、自分がどんな精神状態になるのか検討も付きませんでした。
そこで、せめて祖父の時に後悔したことはしないようにしようと思いました。
そして、ついに祖母が亡くなりました。
亡くなる暫く前から危ないと聞かされていたので、覚悟はできていました。
不思議でした。
亡くなった祖母を目の前にして、お経を聞いていても、私の気持ちは冷静でした。
びっくりするくらい、涙も出ませんでした。
祖父の時に感じた
『胸にポッカリ穴が空いて、ひゅう~ひゅう~冷たい風が通り抜けていくよう』
な感じにはなりませんでした。
逆に祖父の時に空いてしまった穴が、祖母の死でギュッと塞がった感じがしたのです。
暖かく、そこに祖母が入ってきたみたいな感じさえしました。
だから、ちっとも寂しくない感じでした。
祖父が亡くなった時とは、私の環境もかなり違っていました。
結婚もしていましたし、子どももいました。
そして覚悟ができていました。
本当に自分でもびっくりしました。
どうなっちゃうかわかんないと思っていた『祖母の死』が、しっかりと受け止められおくってあげられたことに。
今でもやっぱり胸の所はホッカリと温かく、祖母がいる感じは続いています。
家を離れる時に、祖母から貰った『糸切りバサミ』を使う度に思い出します。
『桃象は器用だねぇ。ばあちゃんなんかよりずっとうまい。』
とおだててくれていたことを。
やさしくて、大きくて、強かった おばあちゃん。
…ありがとうね。